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社団化30周年記念講演会 講師 村田兆治 氏

二本松法人会(福島)[ その他の事業内容]

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 二本松法人会研修委員会(瀬戸睦男委員長)では、11月13日(金)二本松御苑において二本松法人会社団化30周年記念事業として、野球評論家の村田兆治 氏を講師に迎え、「人生先発完投 限界への挑戦~継続は力なり~」と題して、市民講演会を開催、会員と一般市民約130人が参加した。
  講師の村田氏は、プロ野球が生んだ本格投手で、自身の体験と現在の活動について紹介。1967年、ドラフト一位指名で、東京オリオンズ球団に入団、「マサカリ投法」を編み出し、年々着実に実力を上げエースとして活躍するが、1982年、右肘を痛め戦列を離れ、再起不能とまで言われたが、翌83年に渡米し日本人選手として初めて右肘にメスを入れる手術を受け、血の泌なリハビリを乗り越え、1985年、話題を振りまきながら奇跡の復活を成し遂げた。シーズン初登板以来三週連続日曜日に完投勝ちし、「サンデー兆治」の異名を取る。1990年10月13日、西武戦において完投勝利を収め、40歳投手としては、史上2人目41年ぶりの2けた勝利を記録し、23年間で215勝したほか、最優秀防御率をはじめ、数々のタイトル獲得し引退。
  現在は、野球評論家として活動する中、1992年4月18日長崎県平戸市生月島を皮切りに「豪腕・村田兆治、島を行く」として、全国の有人離島をまわり、野球教室などを通じて、離島の人々とあれあい、島おこしにも一役かっている。ライフワークとして、勝ち数と同じ215以上の島を回るのを目標とし、「マサカリ基金」を設立。野球教室や講演等で得たギャラを積み立て、島の人達へ野球用品を贈ったり、野球観戦に招待したりしていた。最終的な目標であった全国離島少年野球大会は2008年7月「国土交通大臣杯第1回大会」として東京都大島町にて実現し、大会の提唱者として名誉会長を務めた経験談などを紹介した。村田さんは「ピンチの時に流れを引き戻すのがエースの仕事」大きく振りかぶって真っ向から勝負、「自分でこうしたいという目標立て挑戦してほしい」などのメッセージを独特の投法で23年間にわたって投げ抜いた野球人生に重ね合わせて語った。
(平成27年11月16日 掲載)

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