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青梅法人会が南相馬市を訪問

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「災害遺児に役立てて」と義援金を贈る
青梅法人会が南相馬市を訪問

青梅法人会[ 災害・支援・応援]

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 青梅法人会(東京)は7月2、3日、東日本大震災で被害のあった福島県南相馬市へのバス視察研修会を開催。会員ら32人が参加し、同市の桜井勝延市長に義援金約105万円を直接、手渡した。
 義援金は、同会が今年2月に行った「ふるさと民謡の夕べコンサート」の会場などで集めたもので、「南相馬市東日本大震災遺児等支援基金」への寄贈が決まった。
 贈呈式では、桜井市長は「赤ちゃんから大学生まで66人の遺児を支えて、10年、20年後を見据えて子どもの未来を創っていきます」と謝辞を述べた。伊藤会長は「道中、全く人気のない町を目の当たりにして、今回の震災の重篤さを改めて実感しました」と、桜井市長と堅い握手を交わした。
(写真は桜井市長=右=に義援金を贈る青梅法人会の伊藤会長)
 震災前には約7万人だった同市の人口は、現在4万6500人。震災とその後に続いた原発事故で、約6400人が県外へ転居。約1万6000人が今なお市外での生活を余儀なくされている。子どものいる家族は内部被曝を恐れて他県へ転居するケースが多く、今春、市内小学校全4校で新入生は19人のみ。2校ではゼロだったという。
 一行は、この後、NPO法人さぽーとセンターぴあ・自立研修所「えんどう豆」の佐藤貞弘所長から市内で生活する障害者の生活について説明を聞き、同研修所製の缶バッチやTシャツを購入した。

 青梅法人会の福島県南相馬市視察団は2日、南相馬市議会の渡部寛一市議が同行してもらい、福島第一原子力発電所20キロ圏付近の小高、原町区へ向かった。
 20キロ圏外は一昨年9月から帰宅が許可され、同市主導の復旧作業が始まっており、参加者の一人が「音や人通りを見てホッとした」と呟いた。
 しかし、20キロ圏内の小高、原町区へ入ると景色は一変した。昨年4月から、同区には立ち入りはできても、住むことはできない。がれきの山が点在した草原は、かつて住宅街だった地域だ。国主導の除染、復旧地区だが、そのスピードは鈍く、地元の期待を裏切った状態だという。津波と原発災害に苦しむこの地区に人影は無い。
 「この先で生後間もない赤ちゃんの遺体を自衛隊員と見つけた」「屋根の上で一晩過ごして救出された夫婦がいました」。渡部氏から聞く話はあまりにも生々しいものだった。
 「福島県を一度出ると、地方紙さえも原発被災地の様子を報じていない。原発再稼働のニュースが当たり前のように報じられることを危惧する。だから暇があれば私は見学者を現場へ連れて語っています」と、同氏の声に力が入った。
 除染は進んでいるが、小中学生の帰還率は約6割(13年4月現在)。渡部氏の息子夫婦は現在、愛媛県でミカン農家として新しい生活を始めたという。
 「3歳の子が20歳になるまで戻らないと息子は言ってきました。向こうで昨年もう一人生まれたからあと20年帰らないね」。苦笑しながら語る渡部氏の心中を察するには、私たちの境遇は違いすぎる。
 子どもが戻れる南相馬にするために、大人たちは諦めず、今を少しずつ前に進めようとしていた。
(西多摩新聞7月12日号から)
(2013)

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