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「百万一心」〜束ねよう三本の矢を。青年部会20周年記念事業

高田白木法人会青年部会[ その他の事業内容]

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 高田白木法人会(広島)青年部会は、昨年11月29日、広島県安芸高田市吉田町の安芸高田市歴史民俗博物館と市民文化センターで創立20周年の記念事業と記念式典を行いました。
 記念事業と式典には、県連青連協会長をはじめ、県内15単位会の部会長、および、11月に広島市内で開催予定の「全国青年の集い広島大会」の実行本部メンバー、協力保険会社、さらに、吉田税務署長・安芸高田市長などの方々の出席をいただき、盛大な記念式典を行うことができました。
 記念講演会は、青年部の全国大会の大会スローガン「百万一心」の誕生した地、吉田(安芸高田市吉田町)を訪ねてもらい、安芸高田市歴史民俗博物館学芸員の秋本さんに案内・説明で、理解を深めてもらいました。実際に郡山城を歩いた皆さんからは、「とても良くわかった。すごい歴史を感じた。」と大好評でした。
 懇親会では、地元アイドルKODのステージや、ダンスゲームを中心に盛り上がりました。
今後とも、部員一同力をあわせ、租税教室等の行事、目前の全国大会等に取り組み、ますますパワーアップして、25周年・30周年を迎えたいと思っております。(青年部部会長 竹廣 昭智)
(2013)
「百万一心」
 戦国時代最高の知将と呼ばれ、中国地方の覇者となった毛利元就公に由来する。元就公が居城である郡山城の拡張の際、人柱に替え、礎石に百万一心の文字を彫り埋めたとされる。元就公の領民を大切にする思いが伝わるとともに、「一日一力一心」とも読み替えることができ、「国人が皆で力を合わせば何事もなしえる」という意味があるといわれている。
「郡山城跡」
標高400㍍、比高200㍍の山頂に、本丸、二の丸、三の丸を構え、四方に延びる峰には200以上の曲輪がある、全山を城郭化した大規模な山城。もともとは南北朝時代の建武3年(1336)、毛利時親によって築城され、元就が城域を全山に拡大した。そして、孫の輝元が広島城に移るまでの256年間にわたり、郡山城は毛利氏の居城だった。元就はここを本拠地として幾度の合戦を経て、中国地方の統一を成し遂げた。(広島県観光ホームページから)

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